酒造の150年と能登地震を記憶した瓦
2024年元旦の能登地震が起きたとき、能登半島の東端にある能登町・松波では震度6強が観測され、松波酒造は壊滅的な被害を受けた。
全国には 30 近い杜氏集団が存在し、その中でも岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏、兵庫県の但馬杜氏、そして石川県の能登杜氏が「日本四大杜氏」と言われている。
松波酒造はその能登杜氏発祥の地、能登町で明治元年から続く歴史ある酒蔵。創業から 150年以上たった今でも、昔ながらの道具を使いながら、厳しい能登の冬、手造りで極寒仕込みの酒造りをされてきた。

2024年4月18日、壊れた建物から空間に使える部分を寄付してくださることを快諾いただいて、素材を採取しに伺った。建物は震災当時のままで通常はだれも入らない場所だが、この日は表側の安全なところにテントを張っての新酒即売会。

以下は、そのときに書いた日記である。
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道路に面する松波酒造の表側は、建物が傾いて庇が道路側へせり出す方向へ少しずつ動いているそうで、いつ倒壊するかわからない状況だった。
酒蔵の中も積み木のように、どれか一つでもずれると全体が崩れそうな様子でかろうじて立っているように見えた。

松波酒造の建物の裏側は、ほぼ倒壊した状態にあり、複雑にうねる瓦屋根が松波川の流れの中に崩れ落ちて、体を横たえる龍の背中のように曲線をなし、息遣いが聴こえてくるようだ。

また、全てのカタチが崩れ落ちる中、酒米を蒸すための煙突だけがまっすぐに天を衝くように垂直を保っている様子が、歴史ある酒蔵の誇りを表現しているようで、その堂々たる姿に感動を禁じえない。
失われてゆくモノは、ときに雄弁に人へ語りかけることがある。毎日、あたりまえのようにそこに在るときにはほとんど感受されることのない「かけがえのなさ」が心に染み入ってくるのを経験された方もたくさんいらっしゃるのではないだろうか。

緑のホーロー製タンクにあった貯蔵酒と、酒米をレスキュー隊が救出できたことで、今回の新酒の販売が可能になった。震災のショックを心に抱えながらも動き続けた金七聖子さんを始め、たくさんの方の魂が込められている。
やがて片付けられる壊れた酒蔵が語る時間の記憶をどこかの場所で受け継いでいくために、酒蔵からほんの一部の素材を寄付していただき、その素材が使用されていた様子に思いを馳せながら、どのように使用するかを考えていこう。
今にも崩れそうな建物の下でヘルメットを被り、しばらく佇んで150年に及ぶ酒造りの様子を想像して過ごした。
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2024年8月にまた訪れたとき、全ての建物が解体され、野原に変わっていた。龍の背のような屋根瓦も忽然と消え去った。まるで空へ飛び立っていったかのように。

2025年9月14日、金七聖子さんは、酒蔵が全壊したその場所にトレーラーハウスを設置し、1年9か月ぶりに営業を再開された。被害を逃れた日本酒、他の酒蔵と共同で醸造した酒を販売するとともに、地元住民らが交流する場への再生を目指されている。

写真で見るトレーラーハウスは、飛び立った龍の、子供が舞い戻ったかのようにも映る。屋根瓦は龍の鱗だった。松波酒造の150年の歴史と能登地震を記憶した瓦の小さな欠片が、チャームの中に入っている。


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