子供たちの反応

みなさん、お元気ですか?GRIDFRAMEの田中です。

<サイフォンコーヒー>

京都で学生だった頃、深夜にふと思い立って、友人と二人でコーヒー豆とサイフォンを座席に積んで、海辺でコーヒーを飲むために車を走らせたことがあります。朝方、薄明りの和歌山の海岸に辿り着いて、「この辺りにするか」と車の屋根の上にサイフォンを置いて、アルコールランプに火をつけたときの潮騒の音が今も聴こえてくるようです。

静かにコーヒーを飲んだら、また京都へ向かいました。ただそれだけのことでしたが、なぜか忘れることなく、折に触れて記憶が甦ります。・・・どこか遠くの場所でコーヒーを沸かすために、誰かと時を過ごす、というごくシンプルな時間の中で、ぼくはかけがえのない何かに触れたのかもしれません。

友人にとってもよい時間であったことを祈ります。

<茶室トレーラー>

そんなことを思い出しながら、さまざまな壊れたモノを載せて走るトレーラーを再構築していたら、いつの間にか移動する茶室をつくっていました。あれはきっと茶会だったんだなぁ、と。

つくってみれば、壊れたモノは、茶道のコンセプトである侘びの美意識、「名馬を藁屋に繋ぎたるが如し」を実現するために不可欠なモノになっています。自由なカタチのGRIDFRAMEsystemが外と内の境界を緩め、壊れたモノという意味から解放された存在が内側に在る環境下でサイフォンコーヒーを愉しみます。利休ならば、これを茶室と認めてくれるでしょうか。

<下北沢のグラフィッティとともに>

下北沢で長年親しまれた老舗ビルが解体中です。昭和37年に建てられたその外観は、サブカルチャーの街を象徴するかのようにグラフィッティに覆いつくされていて、エネルギーの高いモノからとりあえずスプレーした程度のモノまでが塗り重ねられ、ステッカーが貼りまくられ、ロックな若者たちの撮影の背景としてもよく使われていたようです。

現在、茶室トレーラーで運んでいる壊れたモノは、このビルの解体時にいただいた壁の欠片たちで、トレーラーの真ん中に無造作に重なり合っています。経年の汚れを纏ったカラフルな欠片、ラスコー洞窟の牛のような欠片、インディアンの顔の欠片・・・。それらが走行中に落下しないように、GFメッシュで巻いて押さえています。

これらを無視することもできるし、見入ることもできるし、GFメッシュのカタチを整えて、コーヒーカップを載せたり、足を乗せたり、壊れたモノと自由に触れ合えます。何も強制されることはありません。

その壊れたモノたちを真ん中にして、その両側に二人が座り、ぼくがゆっくりとコーヒー豆を挽き、アルコールランプに火を点し、サイフォンでコーヒーを淹れます。沸騰した湯はゆっくりと上り、火を消すとゆっくりと下りてきます。

あとは、コーヒーを飲む時間を共有するだけです。

壊れたモノは今後、SOTOCHIKU素材を採取する度にどんどん更新されていきます。

<走りながら変わり続けるカタチ>

       車を走らせる前              車を走らせた後

トレーラーに積み上げられた壊れたモノたちは、GFメッシュで落ちないように固定されますが、落ちないように積み上げる行為には、人の意図が介入することを避けられず、どこか人為的な姿をしています。(写真左)

しかし、車を走らせると、積み上がったモノたちはメッシュの緩みを探して、振動の度に自動的にその山のカタチを変えていきます。これは、「重力」「振動」「時間」という環境そのものが彫刻家として機能した、コントロールできない不可逆的な生成です。(写真右)

ぼくたちにできることは、事故を起こさぬように細心の注意を払いながらこれを実現していくことです。制御しないことを、きわめて精密に制御している自分たちに笑ってしまいます。でも、ぼくらはずっとこれをやりたかったのですw。

<子供たちの反応>

この文章を書いているときに、うれしいことが起きました。

このトレーラーを表参道のGRIDFRAMEオフィス前に停めていたら、近所の子供たちが道路への落書きで反応してくれたのです。

表参道駅から歩いて10分のこの場所は、決して子供の多いエリアではありませんが、最近、小学校低学年の子供たちが愉しそうに小さな自転車で往来するのを時折見かけていました。

子供たちは決して、茶室トレーラーを「理解」したわけでも、コンセプトを読み取ったわけでも、下北沢の記憶を知っていたわけでもないはずです。・・・それでも、身体が反応したのだと思います。

表参道という洗練され、管理の行き届いた場所は、透明な境界が張り巡らされ、逸脱を許さないという、強く閉じた位相を持っています。

そこに、下北沢で失われたサブカルチャーの痕跡を持つ、壊れたコンクリートブロックの山が一時的に停泊しました。

これは、都市の連続性の中に、別の時間・別の価値の位相が差し込まれた状態です。都市の位相が一瞬だけ「緩んだ」のです。

子供たちはただ、境界が一瞬、弱まっていることを嗅ぎ取ったのです。

いつもは「描いてはいけない」道路に、描いてもいいかもしれない余地が立ち上がったのだと思います。

ここで起きたことは、痕跡を許容する態度だけが誰の意図も介さずに、一瞬、都市に戻った、ということです。

何度も「一瞬」と書きました。この言葉通り、次の日には、チョークの落書きはあとかたもなく消されていました。ぼくたちは、あの子たちが叱られることがなかったことを心から祈ります。

GRIDFRAMEの制作は、みんなに理解されなくていいし、評価されなくてもいいと思っています。ただそこから、別の振る舞いが、起きてしまうかもしれない余地を残していると信じています。

今回の落書きは、その余地が確かに存在したことの、小さくて、しかし消せない証拠として、ぼくらに自信を与えてくれました。あの子たちに心から感謝しています。

<「生き延びる」ための構造として>

2026年の正月は夫婦と息子の家族3人で車で旅に出ました。後部には3人で寝袋で泊まれるように、木製床を、車の床から40センチの高さに取付けることができるよう改造されたワゴン車です。

長距離を移動した後、高速道路のサービスエリアで眠ることにしました。この車を買った頃は息子が小さかったから木床の上に3人で寝ることができましたが、息子が成長し、今では3人で寝るのは窮屈すぎて不可能になりました。それで、ぼく一人だけ木床の下に潜り込んで寝ることにしました。

床下は高さ40センチにも満たないから、寝返りさえ打てない極小空間です。まあ、寝袋にくるまって寝るだけだから、特に問題ないだろう、と横になりました。動きが不自由で寝袋に入ることすらままならず、それでも疲れていたので多少不自然な恰好なまま、眠りにつきました。
5時間ほど平気で眠った後、不自然な姿勢に寝苦しさを感じて、午前4時頃に目が覚めました。しばらくもぞもぞと動ける範囲で、30分ほど姿勢や寝袋の位置を変えたりしていましたが、すんなりといきません。そうこうしているうちに、突然この極小空間が耐えがたくなってきたのです。

ここから出なくては!床上に寝ていれば、横のドアから簡単に出ることができますが、床下からはアクセスできません。頭のすぐ先にある後部ドアははね上げ式で中からは決して開けることができません。閉じ込められ、身動きできない、そして、そこから逃れられない。自分の置かれている状態を考えれば考えるほど、耐えがたさは増してきて、ほとんど気が狂いそうになってきます。

床上の二人は熟睡中でしたが、冷静さを装いながら、下から床をコツコツと叩きました。そして、妻の名前を呼びました。妻がすぐに気づいてくれて、横のドアから出て、外から後部ドアを開けてくれて、事なきを得ました。ぼくは、急いで極小空間から這い出して、極寒の車外で深呼吸をしました。・・・

しばらく経ってから、自分の中で何が起こったのかについて考えました。

ぼくが不思議に感じたのは、あの環境に耐えられなくなるまでは5時間以上も平気でそこにいられたことでした。何が変わったわけではありません。変わったのは、自分の思考です。

森敦に倣い、境界が属さないがゆえに開いている内部(開集合)からの思考を内部思考(主観)、境界が属するがゆえに閉じている外部(閉集合)からの思考を外部思考(客観)と呼ぶことにすれば・・・

内部思考: 内側から見るとは、どこまで行っても「端(境界)」に到達せず、常にその先(内部)がある。自己が自己として純粋に存立し、外部に規定されない自由な状態を指す。

外部思考: 外側から見るとは、境界によって縁取られ、確定してしまった状態。客体化され、外部からの視線によって「物」として固定された状態を指す。

平気でそこにいられた時間は、境界が属さないがゆえに開いている内部思考により主観的に状況に対処していましたが、自分の状況を客観的に把握し始めた途端に、境界が属するがゆえに閉じている外部思考に変わり、その境界があまりにも狭小である事実が自分を追い詰めたのではないか、と考えました。

物事のあらゆる性質は境界に属しており、境界が属する外部からの思考は、人をモノとして捉えてあらゆる性質を否応なく突き付け、それに対して耐性のない者の存在を時に危うくします。

メビウスの帯のように、外部思考と内部思考が交互に現れ続けること、つまり「つながっている」ことが人の生活を豊かにします。もしくは、破綻させません。過去の通信で何度も壊れたモノが持つ、弱っている人を「奮い立たせる」力について書いてきましたが、奮い立つ以前に「生き延びる」環境をつくることの重要性を身をもって思い知らされました。

今回、ぼくが外部思考が臨界に達して危機的状態にあるとき、必要としたのは、外部思考を内部思考に反転させてくれる他者の介入(妻)でしたが、ぼくらはそれを空間として用意しようとします。

その制作態度をぼくは、「トポロジカルな制作」と呼んでいます。

「トポロジカルな制作とは、既成の意味や制作者の恣意を徹底的に取り去ることで、物質や空間を純粋な「構造」へと立ち戻らせ、使い手や時間の介入によって新たな意味が絶え間なく生成され続ける「位相」を設計することです。」

30年以上前にアメリカで建築を学び始めた頃に、数学のトポロジー(位相幾何学)をもとに書かれた森敦の「意味の変容」という本に出会って以来、ぼくはずっと既成の意味を取り去ることを空間制作の条件としてきました。

以下は、31年前に書いた文章ですが、現在も変わっていないGRIDFRAMEの制作態度を表しています。

<クロスビー・ホール>

https://www.buffalo.edu/ubnow/ub-seen/slide-shows/2022/12/crosby-hall-renovation.html

丹精込めてつくられた空間はありがたいものである
そこにつくり手の情熱を感じとった人は、
その空間にふさわしく振る舞う使い手になろうと心掛けるだろう・・・

では、丹精込めてつくられてないかもしれない空間は、
どんなふうに使ってもよいというのか?
そこでは、どんな振る舞いをしても許されるというのか?
・・・ならば、その方がよっぽどおもしろいではないか

このような逆説は、建築や美術を学ぶ学生にとっては
特に現実味があるはずである

私が建築を学んだニューヨーク州立大学建築学科の校舎クロスビーホールは
つくり手の情熱などからはすっかり解放された古い空間であり、
だからこそ、ペンキを塗ったり、落書きをしたり、壁に穴を開けたり、・・・
学生は好きなようにこの校舎を自分の制作に利用することができた

創造に専念する者にとっては、
その創造の場となる空間のつくり手の情熱などは
ときには邪魔なものでさえあるのだ
かくいう私もこのような理由から
クロスビーホールを愛してやまない者の一人である

長い時を経て、いろんなことが忘れ去られてしまった空間は
私たちみんなへ向けて、静かに微笑んでいる
(あなたもそんなふうに感じたことはないだろうか?)

そんな空間のくれる自由の空気を体験するとき
その空間もまた始まりは私たちと同じ人間がつくったものに過ぎないということに
なんだか遠い希望の光が見えてこないだろうか

時間は、すべてのものを死の方向へと導くと同時に
恣意を必然へと変える力を有している

すべてが無へと融けていくかのようにあるときこそ
私たちはそこに揺るぎない強さを目の当たりにし、
本能的に、生へと向かう創造の情熱をかきたてられる

このような私が真新しい空間をつくる仕事をしているわけだから
ただ丹精込めて空間をつくるわけにはいかない

私は、空間のつくり手であるとともに
空間の壊し手である「時間」になろうとする
太陽であり、風であり、雨であろうとする

それは、丹精込めてつくられた空間という
従来の空間の良し悪しの基準を無効にするだろう

そのような空間を、丹精込めてつくっていきたいと思う

<トポロジカルな生成と資本主義的分業>

森敦の「意味の変容」において、「意味を取り去ることなく対応することはできず、対応することなく構造することはできず、構造することなく新たな意味を得ることはできない」とあります。

この言葉は、意味を知ることなく坦々と作業をする人間たちの群れをつくる資本主義的な分業が可能であることを説明していると同時に、既成の意味を取り払うことが演繹的に意味を生成する創造者たちの条件であることを説明しています。つまり、予め決められたモノをつくる「ユークリッド的な製作」と予定不調和を含み込む「トポロジカルな生成」のどちらも「意味を取り去る」ことなくなされることはないことを表していると理解しています。

実際、GRIDFRAMEのスタッフによる創造性の連鎖による空間制作は、両者の混合として成立しているといえます。つまり、時間の制約の中で、スタッフたちはさらりとつくる部分は資本主義的に、自分の創造性が活かせる部分はトポロジカルに、制作を進めることができます。結果として、面白い空間が迅速につくられてきたのです。

ならば、全てのつくることに携わる人が「意味を取り去る」ことを自覚することによって、つながることができる可能性を考えてみたいと思います。

<クリエイティブサポートレッツ>

SOTOCHIKU素材は空間プロジェクトに使用され、材料代として換金されるとその60%が3つのすばらしい活動をされているNPOのいずれかに寄付されます。素材を寄付してくださった方にはNPOから寄付証明が送られ、確定申告時に寄付控除を受けられる仕組みになっています。昨年6月にそれぞれのNPOをお訪ねし、SOTOCHIKU通信でひとつずつご紹介させていただいています。

今回は、静岡県浜松市中心市街地にある認定NPO法人クリエイティブサポートレッツです。「たけし文化センター連尺町」は、1階と2階が文化センター兼障害福祉サービス事業所、3階は重度の知的障害者を中心に、障害の有無に関わらず利用できるシェアハウスとゲストハウスがあります。また、「ちまた公民館」は、障害のある人もそうでない人も、誰もが利用し、活動できる私設私営の公民館です。ただ、そこにいてもいい、という場所を提供されています。さらに、大型の新拠点が2028年にオープン予定です。

レッツのウェブサイトでは、このように自己紹介されています。

・・・・・・・・・・
社会の「あたりまえ」なんて、お構いなし。
「あるがまま」を貫き通す、重度の知的障害者「たけし」。
彼との出会いによって、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツは生まれました。

わたしたちは、障害や国籍、性差、年齢などあらゆる違いを乗り越えて、ともに生きることができる社会づくりを目指す、アートNPOです。

誰もが持っている表現する力を、取りに足らない、役に立たないと一方的に判断するのではなく、その人固有の表現として、全肯定していく。
これを「表現未満、」と名付け、多様な立場の人たちが交差する場をつくりながら、新しい文化を生み出していきたいと考えています。
・・・・・・・・・・

レッツは「たけし」くんから始まった福祉施設であり、障害者を一般として捉えず、一対一で向き合う人たちの輪を都市の中に拡げていく活動をされています。それは、前例のない独自性とエネルギーに満ちた活動であり、今日も試行錯誤の繰り返しが展開されています。

SOTOCHIKUの活動を開始するにあたって寄付先のNPOを探していたところ、1990年代から知的障害者アートを洗練されたグッズとして世の中に出していく活動をされていた「工房絵」/「studio COOCA」の関根幹司さんからレッツをご紹介をいただきました。

関根さんの活動も一対一で向き合うことをベースとしたすばらしい活動で、グリッドフレーム起ち上げの頃から、展示会サポートをさせていただいたり、工房の空間づくりをさせていただいたりしました。その体験は、ぼくたちの活動の原点のひとつになっています。

「生産性で人の価値を測らない」社会を実現するためには、「開集合(=境界(性質・意味・効率)が属さないがゆえに開いている内部)」の豊かさを実感できる状況を社会に拡げていく必要があると思います。しかし、その状況を支えるには、物質的な豊かさをもたらす「閉集合(=境界(性質・意味・効率)が属するがゆえに閉じている外部)」もまた社会において充実している必要があります。

問題は、現在の社会が「閉集合」のみを肥大化させ、ぼくらの「開集合」を狭小空間に追い詰めていることです。だからといって、「開集合」の拡大のみを説いても、社会から切り離されてしまうだけです。

「閉集合」と「開集合」を決して切り離さず、メビウスの帯のようにつなぎ合わせることが重要です。レッツさんも、studio COOCAさんもそれぞれのやり方で美しく二つをつなぎ合わせておられます。

ぼくらは空間的に二つをつなげることをいつかお手伝いできれば、という夢があります。

次号も、SOTOCHIKU の様々な活動について、お伝えしたいと思います。

<SOTOCHIKU通信アーカイブ>

発刊から1か月以上経ったものは、アーカイブページでご覧になることができます。

https://sotochiku.com/category/tsu-shin-archive/

SOTOCHIKU通信へのご感想・ご要望などいただけましたら、大変嬉しく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

配信停止をご希望される方は、田中まで facebook メッセージ、または PC メールtanaka@gridframe.co.jp へご連絡ください。

2026 年 2 月 28 日 GRIDFRAME 田中稔郎

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