意味を取り去らなければ対応することができない
ABCD論を書きながら、森敦「意味の変容」を思い出している。
意味とは何か?
対応し、構造して、意味を生ずる。
だが、その意味を取り去らなければ、対応できない。
だから、意味は取り去らなければ、循環していかない。
意味を生むとは、閉じられた世界をつくることだ。
そして、閉じられた世界は、やがて壊されなければならない。
そのようにして、人はらせん構造を回り続ける。
左の象限は閉じられた世界、右の象限は開かれた世界だ。
仕事で右の象限にいるのか、左の象限にいるのか?
プライベートで右の象限にいるのか、左の象限にいるのか?
仕事とプライベートを分かつ必要も本来はない。
らせんを描くベクトルを失って、ただ微笑む人となるとき、
本当にDに至って、自然へ返っていくのかもしれない。(20210315)
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