ソトチク素材は、風雨や日光に晒されたり、生命活動の場にあり続けることで 時間や生命の営みを記憶した素材のこと
デザインファクトリーGRIDFRAMEが空間をつくる中でたどり着いた手法をSOTOCHIKU(ソトチク)という。
SOTOCHIKUとは、外で風雨や日光に晒されるなど、長い時間を記憶したモノを寄付で集めて、新しい空間づくりの素材として生かすことをいう。
SOTOCHIKU=外築。「外」は<想定外>、「築」は<構築>を表す。広く言えば、<想定外の構築>という意味の造語である。
SOTOCHIKUにたどり着くまでの経緯は、gridframe.co.jpの<ぼくらはどこから来てどこへ行くのか>に詳しく書いているため、ご参照いただきたい。
さて、SOTOCHIKUの空間をつくるとき、想定外には二つある。
一つは、想定外の素材である。そのままでは廃棄処分となってしまう、建材になるとは誰も思わない<SOTOCHIKU素材>を使う想定外である。
何に出会うか、を事前に知ることはできない。
もう一つは、想定外のデザインである。
出会ったSOTOCHIKU素材をどのような感性で捉え、唯一無二のデザインに繋げる想定外である。
素材と向き合う前に、どんなデザインになるかを知ることはできない。
寄付→採取→加工→制作というプロセスの中で、出会ったSOTOCHIKU素材と正面から向き合い、どの段階でも五感を全開にしてその性質を読み取り、考え続けることが、SOTOCHIKUでよい空間にたどり着ける唯一の道だ。
2007年に店舗づくりの相談を受けた、パクチーハウス佐谷恭さんと2021年に再会。
SOTOCHIKUの試みに共感を得て、千葉県鋸南町保田駅前の銀行跡地にSOTOCHIKUショールーム、カフェや展示、イベントなどの交流施設「SOTOCHIKU&89 unLtd.」(通称:パクチー銀行)を共同でオープンした。
ここを拠点に、鋸南町から豊富なSOTOCHIKU素材を寄付で集め、東京などの遠く離れた場所の空間づくりに生かしていく。そして、遠く離れた場所から鋸南町へたくさんの人が訪れるようなイベントを企画していく。
1996年 ニューヨーク州立大学建築学部で、鉄スクラップなどの「なったもの」を素材として取り込む建築の研究の成果としてグリッドフレームシステムを考案する。修士論文「汚しうる美の建築」を発表。
1998年 有限会社グリッドフレーム設立。外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくることをめざす。
2003年 「なったもの」の素材をほとんど手に入れることができず、内部空間に取り込むことを一旦断念。
2004年 プロジェクトの始まりから終わりまで、ずっと複数の人間の試行錯誤が連続していく「創造性の連鎖」を提唱、システムを整えながら、徐々に実践開始。
2009年 株式会社グリッドフレームに名称変更。
2017年 外で風雨や日光に晒されるなど、長い時間を記憶したものなどの「なったもの」を内部空間に取り入れる試みを再開。SOTOCHIKUと名づける。浅草「華匠」シルクプリンキッチンスタジオ完成。
2019年 古着を寄付で集めるサイトにヒントを得て、「なったもの」を寄付で収集するシステムを構築。契約書類など法的整備を完了。
2020年 諏訪市「KZ邸」完成。東京都の経営革新計画に採択される。
2021年 佐谷恭さんと千葉県保田駅前にショールーム&カフェ「SOTOCHIKU&89 unLtd.」(通称:パクチー銀行)をオープン。10月30日に初めて鋸南町でSOTOCHIKU素材寄付の契約を交わす。
2022年 芝公園「STUDIO MARLMARL」、鎌倉「PHOTO&COFFEE ZEFF」、完成。
2023年 新宿「club ICON」、世田谷区深沢「No X9Z STUDIO」、相模原「和が家カフェ」、蒲田e-sports「HANGOUT」、南青山美容室「HACO」、完成。
12月に港区西麻布2-20-4に「SOTOCHIKUショールーム」を開設。
2023年12月31日、毎月の「SOTOCHIKU通信」配信を開始。
2024年元旦、能登半島地震が発生。奥能登で地震・津波・隆起・沈下・火災とあらゆる種類の甚大な被害が生じる。
「能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト」を始動。能登で震災ボランティアをしながら、震災で壊れたモノを寄付していただく活動を続ける。
2024年、西麻布「The canal」、北浦和「ecru」、吉祥寺「A manga artists studio」、渋谷「Bon Bon Clinic」、浅草「The Art of Tea TOKYO」、完成。
吉祥寺「A manga artists room」、浅草「The Art of Tea TOKYO」で能登から寄付されたモノたちを使用する。
2024年10月現在、能登で壊れたモノも含め、さまざまな土地の消えてゆくモノに込められた時間の記憶を引き継ぐことで紡がれる物語を空間に変えていく作業を続けている。