SOTOCHIKUの空間は、ぼくらがつくったもの、と言ったとしても、
元々の素材が誰かによってつくられたものだったり、
自然が作用していたりするのだから、
「ぼくら」というときには周辺にいる人だけでなく、
もっとたくさんの人たちや人以外の何かが含まれる。
そう考えると、より正確に言えば、「ぼくら」とは「世界」かもしれない。
つまり、「ぼくらがつくったもの」とは、「世界がつくったもの」だ。
世界はいつも、きみを応援してくれている。
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