壊れたモノを前にして
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みなさん、お元気ですか?GRIDFRAMEの田中です。
<ガウディさん、これ見たでしょ?>

ガウディのサグラダファミリアは2026年に140年続いた工事を終えて完成する、と話題です。
つくった空間は未完成であり続けて、人と共に変わっていくほうがよい、と考えているぼくとしては、「いよいよ」という気持ちは全くありません。
ガウディが亡くなって、すでに1世紀が経とうとしている今もつくられ続けていることこそがこの建物の価値であり、人間を励まし続ける所以だとすれば、永遠に終えないことを宣言して、世界の全ての建物がそれをまねていくことこそ、人類にとって必要なことではないか、と思ったりします。
あまり詳しいことを知らないのですが、ガウディの構想部分は終了、ということなのでしょう。
途中には、さまざまなアーティストの彫刻制作なども入り、その時々の時代感を愉しめるのもこの建築のすばらしさの一つだと思います。
時代を超えたいろんな人の魂がこの建築を支えている、と思っています。
さて、スペイン・バルセロナで上の写真を撮った後のことでした。
スペインの中央部へ旅行に出て、ミニチュアのサグラダファミリアを発見してしまったのです。
ガウディが植物からアイディアを得ていることはよく言われることですが・・・、ガウディさん、これ見たでしょ?

<壊れたモノを前にして>
崩れ落ちたモノの集積を前にして、ぼくは言葉を失って立ち尽くしていました。

昨年春、奥能登でSOTOCHIKU素材を取り出すために建物の中へ入らせていただいたときのことです。
ぼくは衝撃を受けて、しばらく動きませんでした。動けなかったのか?それとも、動きたくなかったのか?
一回性。・・・やがてそんな言葉がよぎりました。もう何をしても、元には戻らない・・・。
そこは初めて訪れた遠い町の古い建物でしたが、<壊れたモノ>の一つ一つがぼくに対して語りかけてくるように感じました。
そこで営まれた日々に込められていた想いが溢れ出るように押し寄せてきます。
今、思い出せば、ぼくはそこから動きたくなかったのかもしれません。
これまでも魂の宿る空間をつくりたいと思ってやってきました。しかし、これ以上に魂が語りかけてくるような空間が他にあるでしょうか?
この空間の本質は何か?そして、未来へ生かしていくために、どのように美しい空間を実現していくか?そのことについて、今書ける範囲で書いてみます。
<壊れたモノで魂の宿る場所を引き継ぐ>
vol.8で、魂の宿らない場所をつくることは、祭りを失うことであり、すなわち毎年、地域や人やモノに正しい波動を浸透させる文化を失うことになるのではないか、という疑問を投げかけました。
では、ぼくらは魂の宿る場所として、能登にどんなものをつくっていきたいのか?いくつかの画像をつくったので、それをご紹介していきたいと思います。

例えば、壊れた壁の空隙に合わせて、このように壊れたモノを埋め込みたいと思います。
長い時を過ごした建物の一部に組み込まれた新しい造作物。そして、新しい造作物は壊れた欠片を包み込む。
それが酒蔵であれば、一部に酒を飾ることで酒造りに懸けてきた思いが伝わってきます。
このようなものを地震で壊れた町に点在させたいという思いがあります。
遠くから来た人にも、この場所の時間の記憶が染み入るように伝わる美しいモノになれば、と思います。

崩れ落ちた塀の欠損部分を新しい造作物で埋めた例です。
新しい造作物は壊れた欠片を包み込んでいます。
住宅は新しく建替えられても、通りに面した部分に時間を記憶するモノを引き継ぐことで、祭りに似合う町であり続けることができます。
vol.11に掲載した、積み重なった壊れたモノを部分的に残してつくる「座れるオブジェ」を含めて、壊れたモノをそのままで未来へ生かしていく活動を「創造的保護」と呼んで、町の景観に宿る魂を守っていきたいと願っています。
能登では公費解体の申請期限が迫っており、修復か解体かで迷っていた人が次々に解体申請に流れている状況だそうです。伝統的建築物が次々と解体されていくのをなんとか止めて、修復活用へ導こうとしている方々がいらっしゃいます。
まずは解体を阻止し、再生するためには構造的・機能的な課題を解決していく段階なのは明らかですが、伝統的建築物に壊れたモノを組合せながら、創造的な修復をしていくお手伝いができないか、という願いがあります。

このイメージは、床下の立面に壊れた欠片を包み込んでいます。後ろに光を入れると、壊れた欠片のシルエットが浮かぶはずです。
さりげなく、空間に溶け込むように壊れたモノを使用したいと思います。
<壊れたモノを包み込む>
GRIDFRAMEでカタチをつくり、その中へ壊れたモノを詰めたい場合と、やわらかい網で壊れたモノを包み込みたいときがあります。それぞれで壊れたモノとの距離感が違います。


今、GRIDFRAMEオリジナルの網を開発中です。網を用意することで、対応できる素材の種類が大幅に増えることが予想されます。
<壊れたモノと壊れていないモノ>
ぼくらとは別に能登の被災した家屋から、使える建材、建具、家具を救い出す活動をされている方々がいらっしゃいます。ぼくらとは比べ物にならないくらいに大規模で、たくさんのモノを捨てられることから守ることができていると思います。すばらしい活動です。
時間の記憶を未来へ生かそうとされている点で、ぼくらと共通していますが、一方で、ぼくらの活動とは明確に違う部分があります。
それは、その方たちは壊れた建物から「壊れていないモノ」を採取しようとし、ぼくらは壊れた建物から「壊れたモノ」を採取しようとする、という違いです。
「壊れていないモノ」の採取は、リサイクルが目的とされます。つまり、商品価値のあるモノとして採取され、付加価値のある素材として、創造的に加工され商品化されたり、そのまま建材として商品となったりします。
一方で、SOTOCHIKUでは、そのままでは捨てられてしまうモノを採取します。捨てられるモノには、元々与えられていた意味に縛られない、捨てられるモノの自由ともいうべき揺るぎない魅力があると考えています。なによりも、その魅力を失わせないことに心を配ります。だから、素材は空間づくりのために寄付されるモノとしてあり、ぼくらの空間づくりのみに使用され、決して商品として流通されません。
震災の現場からのSOTOCHIKU素材採取では、そのままでは捨てられる「壊れたモノ」を壊れたモノとして空間づくりのために寄付していただき、採取しました。現場の圧倒されるような空間でぼくに語りかけてきた魂とも呼ぶべきものを醸し出していたのは、紛れもなく「壊れたモノ」だったからです。
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ぼくは、壊れたモノには新しい何かを生み出す力がある、と考えています。
もう元には戻らない、ものごとの「一回性」が、そこに立ち尽くしている生命を奮い立たせ、未来へと強引に突き飛ばすような勢いで押すのではないでしょうか。
そして、もしも、この地震が起きなかったとすれば、決して感受することができなかったような強いメッセージが放たれて、ぼくのような部外者にもその歴史を伝えてくれることもなかったでしょう。
<一回性と「非情」>
昨年、被災した町民たちが開催を決断した能登・宇出津のあばれ祭で、彼らが御輿を全力で壊す姿に熱狂する姿を目の当たりにしたことで、祭りとは苦難を乗り越えていくための智恵の結集であることを肌で感じることができました。
御輿が動き始める直前に、御輿を担ぐ若者を選定する儀式があり、20~30人の猛者が1列に並び、若頭の前でひとりずつ「お願いします」という大声と共に頭を下げていきました。しかし、そのうちの3人が担ぐことを認められず、それぞれがまた後ろに並び直し、何度も必死に懇願を繰り返しましたが、最後は突き飛ばされるように、その場からはじき出されました。

そのとき、ぼくの少し前でその様子を見ていた町の老人が、「ならんものは、ならんのじゃ」と低い声で吐き捨てるように言ったのです。その言葉はぼくの耳にこだまするように、再びものごとの「一回性」を想い起こさせました。
ぼくらが「一回性」を認識するのは、往々にして、ぼくらがネガティブな意味で「非情」を感受したときです。例えば、その代表的なものが、死に際したときです。しかし、死へ至るまでの全てのものごともまた、時間が一方向へ進む限り「一回性」の経験として見ることができ、「一回性」にはネガティブもポジティブもありません。にも関わらず、普段の生活の中で「一回性」を認識することはとても少ないのが現実だと思います。
あばれ祭には、天災のように、あるいは神のように、「非情」な一面が組み込まれているように感じました。祭りの中に誰もが「一回性」を認識するネガティブな「非情」を取り込むことで、日常の繰り返しの中で眠っていた「一回性」を認識しようとする心を呼び覚ます。これが、人々の魂を奮い立たせるのではないでしょうか。
令和の時代にあって、さらに天災の直後にも、この祭りに賭ける情熱を町を挙げて保ち続けられる理由を、ぼくはここに見た思いです。
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世の中にはそのような「非情」を遠ざけて、常に優しさで包まれた世界を身の回りに構築したいと願う人ばかりかもしれません。しかし、天災ばかりでなく、戦争を筆頭とするさまざまな「非情」な人災が人を苦しめています。
さらに、身の回りの人間関係にも「非情」は溢れかえっており、世間にはあらゆるハラスメントが横行しています。
ハラスメントとは、「自分は変わることなく、相手を自分の思い通りに変えようとする行為」だと言われます。ものごとの「一回性」を見ずに自分を固定することは、自分を優れた人間だと思う人ほど、他人に対するハラスメントを生み出し、気づかないうちに負のスパイラルを起動させてしまうように思います。
それをなくすためには、一人一人がものごとの中に「一回性」を見い出し、常に「自分を変えるかもしれない何か」として真摯に向き合いながら、出会いの度に自分を更新していく姿勢が必要なのではないでしょうか。
被災直後に壊れたモノに向き合うには、ネガティブな「一回性」という「非情」の要素が強すぎて、眼をそむけてしまいがちです。それどころか、早くリセットをして元の生活に戻りたいと、一刻も早く片付けてしまいたいと思われるのが通常です。しかし、心を鎮めて眼を向けることさえできれば、その「一回性」は見る人の魂を奮い立たせてくれます。
そう信じて、ぼくらは「壊れたモノ」を新しい空間に生かしていきたいと思います。
<「壊れたモノ」展@SOTOCHIKUショールーム>


現在、表参道のSOTOCHIKUショールームを改装中です。(上の写真は昨年11月撮影) 今回詳述しました「壊れたモノ」を新しくつくる空間に生かしたモノを展示します。前回、「企画展」を3月に、と予告しましたが、次のスケジュールで開催したいと思います。
場所:東京都港区西麻布2-20-4-1F SOTOCHIKUショールーム@GRIDFRAME
日時:4月11日(金)17:00-20:00
12日(土)13:00-20:00
13日(日)13:00-20:00
コーヒーを淹れて、愉しみにお待ちしております。
<第4回ペンキのキセキ@鋸南パクチー銀行>
4月26日(土)10:30-16:00 みなさん、ぜひご参加ください!
事前にご参加表明をお願いします。詳しくは下記の facebook ページまで。
https://www.facebook.com/events/1166573968595269


次号も、SOTOCHIKU の様々な活動について、お伝えしたいと思います。
2025 年 2 月 28 日 GRIDFRAME 田中稔郎
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