能登の魂を引き継ぐ

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みなさん、お元気ですか?GRIDFRAMEの田中です。

<本を開くように、空間に入る>

表参道のSOTOCHIKUショールームには、前号で紹介していないもう一つの特徴があります。

それぞれのSOTOCHIKU素材にQRコードが付いていて、この素材にまつわる空間の物語を読むことができるのです。(鉄にQRコードを彫り込んでいます。この写真でも「梯子の物語」、読めます。)

SOTOCHIKU素材には、必ず時間を記憶してきた物語があります。一緒に時を過ごした人へのインタビューをもとにその物語を表し、さらに、その素材が空間づくりに与えたインスピレーションなど、素材と空間の関係性を表す物語を、まるで本を読むように愉しむことができる仕掛けをつくりました。

今後、ぼくらがつくる一つ一つの空間には、本の中へ入ったかのような物語を包含させようと思います。

<能登の魂を引き継ぐ>

SOTOCHIKU素材を採取するために、約半年ぶりに能登を訪れました。素材は、空間に使用されるときに材料代として換金され、その6割がNPOに寄付されます。(4割はGRIDFRAMEの手数料とさせていただきます。)NPOからは1月末頃に寄付証明が寄付者へ送られ、確定申告のときにそれを提出すると寄付控除を受けられます。

能登を訪れるのは、震災発生後、田中は6回目になります。昨年11回能登を訪れたGFスタッフMさんは今年はひとまずGFから離れることになりました。

今年は、昨年の災害ボランティア中心の活動から、GRIDFRAMEだからこそできる空間づくりに活動を移していかねばならない段階に入ってきました。

今回、能登を訪れて、よく人が訪れる場所については、道はきれいになり、解体もずいぶん進んだような印象があります。つまり、壊れたモノは次第に失われつつあります。

壊れたモノが一掃されることを喜ぶ人も多いと思いますが、今までの通信で力説してきたようにぼくの理想とは違います。壊れたモノをほんの少しでも残して新しいモノに組合せる方が、必ず魅力的な唯一無二の空間になり、能登を元気にする、と信じています。

vol.11やvol.14で提案したような震災の時間を引き継ぐ創造的なオブジェのあるお店や宿などの空間を能登につくることで、受け継がれてきた魂を次代へ引き継ぐことができる、と考えています。

未来へ向けて、物語に満ちた空間をつくっていくためには、どうしても地震で壊れたモノが必要です。冒頭の取組と同じく、壊れたモノにQRコードを付けて、その素材にまつわる物語を読める空間を丁寧につくっていきたいと思います。

今年10月に公費解体を終わらせる、という目標に向けて、自治体は急速に動いていますが、限界集落への道路には壊れたままに放置されているところもあり、どうやら壊れたモノが全て失われることはなさそうです。

空間のオファーを受けられないか、動き始めたいと思います。ご興味のある方は、info@gridframe.co.jpまで、ぜひご連絡をください。

そんなわけで、オファーがあればまたMさんと一緒に能登を訪れる機会もつくれるかと思います。今回は新人スタッフの須澤さんと初めてSOTOCHIKUトレーラーを引いて旅をしました。

<SOTOCHIKU素材の採取とインタビュー>

今回の能登での解体予定の建物からのSOTOCHIKU素材の採取は、能登町鵜川のお宅1軒と珠洲市若山町上山、北山のお宅3軒です。

【能登町鵜川にて】

昨年8月と同じく、宇出津のOさんのお世話になり、1軒目の能登町の海沿いの町、鵜川のTRさんのお宅では、畳下の床板を寄付していただき、お話を伺いました。

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-いつ頃建てられたのでしょうか?

「65年前に、家族で川沿いから引っ越してきたときに祖父が建てた家です。代々、土建業をやっています。そのとき私は2歳で、ここで育ちました。1階には年寄りが、2階には若い衆が住んで、座敷に集まってはワイワイ飲んでいました。」

「ここで育って、ここで子供を育て、巣立って行った子供たちが帰ってくる場になりました。広い家が、だんだん広すぎる家になった。今は、自分たち夫婦はキッチンと食卓だけしか使っていませんw。」

「正月は3人の子供たちが帰ってくるはずだったけれど、偶然にも誰も帰ってこなかったから、みんな無事でした。私たち夫婦で、食器棚が倒れないように押さえたりしていました。」

-物心ついてからずっとお住まいになった家が解体されるのは、どんなお気持ちですか?

「祖父の代から受け継いできた家を壊すのが、忍びない。この気持ちがいちばんです。そして、自分の人生の証の建物を壊す。だから、記念のモノはできるだけとっておきます。例えば、囲炉裏とか、鉄瓶とか・・・。子供たちにも、何か思い出のモノはいらんか?と訊くけれど、いらん、と言われましたw。」

-解体される家の一部をSOTOCHIKU素材として寄付されて、東京周辺の空間の材料として生かされることをどう思われますか?

「せめて金沢とか近くならいいけれど、東京となるとほとんどの人は見に行けないと思います。死ぬ前に一回見たいという人もいるかもしれないけれど・・・。でも、私は旅行が好きだからいつか見に行きますから、使われたら必ずお知らせください。」

-地震直後は、どんな様子でしたか?

「この辺りは、潰れた家はあっても死者が出なかった。若い衆がつぶれた家を声をかけながら回って、4人引っ張り出して助けたそうです。自分のことも大変なときによくやったな、と。」

「地震は怖かったけれど、それよりも怖いのはその後の食べ物がない、トイレができない、ということです。もう二度とそんな思いはしたくない。避難所ではそれぞれのわがままな姿が露わになることもありました。配給される食べ物を列に並んで受け取るときに『私だけこんなに小さい』と不満を言う人がいたり・・・。」

-現在の生活はどうされていますか?

「仮設住宅にいて、班長をしています。6人の班長で話し合いながら、いろんな問題解決やイベントを企画したり、愉しくやっています。でも、子供は静かに生活しているし、年寄りも出てこない人がいたりします。もっと外へ出て、のびのび遊んだり、井戸端会議をしたりしてほしい、と思っています。」

「独り暮らしの老人も多いです。出てこないと思ったら亡くなっていた、ということも1件ありました。そういえば、ドタッと大きな音がした、と。」

「でも、仮設住宅だからまだドタッという音が聴こえます。一軒家に戻ったら、聴こえない。だから、孤独死だけは絶対に出さないようにしたい。」

「熊本地震を経験された益城町の女性が私たちの仮設住宅へ来られて、電気代をそれぞれが支払っていたところ、熊本での仮設住宅の経験を役場に説明してくださって負担がなくなり、ありがたかった。」

-能登の復興とはなんでしょうか?

「出ていった人たちは帰ってこないから、モノが元に戻っても生活は元に戻らない。」

「東日本大震災の被災地を訪ねたとき、海岸に立てられた10メートル以上の防潮堤を見て、唖然としました。熊本も1年経った頃に行きましたが、まだブルーシートが多かったのを憶えています。東日本、熊本の人たちにもっと聞いて、未来について考えた方がいい、と思います。」

「はっきりしているのは、道路のこと。神戸には11本あったそうです。能登は1本しかない。道路が重要です。食べ物とトイレがないことの地獄は、絶対忘れません。」

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今回は、8畳間2部屋分の床板を採取させていただきました。一部屋は比較的新しい12尺の木板、もう一部屋はおそらくは65年が経つ漆が塗られた6尺の木板が敷かれていました。どちらもすばらしい板です。

実は、今回最も印象深い素材は、採取して持ち帰ることができないものでした。それは2階の壊れた外壁部分にありました。

竹子舞の土がまだ半分残る壊れた土壁の向こう側に外の光が溢れる様子を、ぼくは神が宿るかのように感じ、しばらく立ち尽くしました。この今にも崩れそうな状態を保持して採取することはできませんが、この貴重な体験を今後の空間づくりに確実に生かしていきたいと思います。

【珠洲市若山町上山にて】

こちらでボランティア活動を続けていらっしゃるアーティストNHさん、UYさんのお世話になり、珠洲市の若山町北山と上山でいくつかの物件をご紹介いただき、採取させていただきました。

朝、上山集落の宿で支度をしていると、NSさんというご近所にお住いの方が来られて周辺をご案内くださいました。まずはこれから解体される予定の、宿の隣宅に。

中へ入ると、驚くことに柱は全く傾いていません。全てまっ直ぐに立っています。現在も母が住み続けている熊本地震で半壊だった家だって、柱は多少傾いています。それなのにこの家は解体されてしまうのです。

その原因は、雨です。震災から16か月もの間放置され、雨漏りが続いたことで、カビが進行し、木も腐ってきて、人の住めない家になってしまいました。

外へ出て、屋根を見ました。まずは、道路側から。

家の裏側に切妻屋根の頂部の半分が地面に転げ落ちています。

落下したものを見ると、屋根の頂部がモルタルで固められていたのがわかります。NSさんによると、昔は土壁のように、土とスサを混ぜたもので固められていたために、地震の揺れを吸収することができましたが、最近はモルタルになったためにガチガチに固くなって揺れで完全に壊れ、まるごと転げ落ちた、とのこと。

そして、転げ落ちたときの衝撃で斜面の瓦も壊れた、と。つまり、この家については、地震時には屋根の頂部が落ちただけの被害だったのです。

NSさんのご自宅は土が使われていたために、頂部が残り、補修が容易にできたから、今も住むことができているそうです。

このお宅では、この家が解体される唯一の原因である、転げ落ちた屋根の頂部の一部を採取させていただきました。

NSさんは、まず屋根を直すことに注力すべきだった、と仰います。

「珠洲市では、とにかく早く解体を進めようとしてきました。屋根を直せば、能登の伝統的な家屋がこんなに失われることはなかっただろうと思います。」

「また、公費解体の条件は、家財の運び出しが済んでいることだったから、どんどん貴重な漆器や家具などが捨てられていった。今ではその条件もなくして、家財が残ったままでも公費解体を受け付けます、になっている。」

そういえば、GFスタッフMさんが参加した初期ボランティアの仕事は、ほとんどが家財の運び出しでした。

NSさんは、今、この地域に一つでも多くの昔ながらの家屋が残ってほしい、と願っていらっしゃる。NHさんや、多くの方々も、解体をストップしてもらうために何ができるか、を考えて役所に働きかけたり、家主さんに働きかけたり、奔走していらっしゃる。公費解体を申請しても、解体を延期できるようになったのも、その働きかけの成果だと思います。

一方で、現在は解体のラッシュといっていい現実があります。ぼくが見かけただけでも各地で10件以上の解体が進んでいました。

【珠洲市若山町北山にて】

北山集落に入ると、ソフトバンクの携帯には電波が届かなくなります。同行している須澤さんの個人携帯がドコモだったので、かろうじて電話がつながりました。上山はどちらかといえば、ソフトバンクの方がよく繋がりました。

HMさんのお宅は、本道から分かれた数百メートル続く山道の終わりにあります。80年くらい前に建てられて、お父さんが自ら修理を重ねてきたそうです。

このお宅からは、外壁に貼られているトタン板を採取させていただきました。このトタンが貼られたのは、お兄さんが小さい頃だということでした。

5月中には更地になる予定だそうで、更地になった後のことはまだ考えていない、と。

北山集落では家の敷地内にお墓があることが多いようで、このお宅にもお墓があり、今後はお墓参りに来られるそうです。

TNさんのお宅周辺は、道がほとんど直されていない状態で、トレーラーの通行が困難な場所でした。

建物は築100年くらいで、一部改築を繰り返してこられたようです。高台にあるため、下に広がる畑の眺めがよく、震災前はさぞ気持ちのよい場所だったろうと思われます。

2階を寝室として使っており、TNさんの書道部屋もありました。「字が汚かったので、ここで練習していました。」と謙遜されますが、達筆で書かれた半紙が部屋いっぱいに広がっていました。

薄暗い納屋にはさまざまな箱が仕舞ってありました。TNさんは、ひとつひとつ箱を開けながら、ご家族のメモ帳のようなモノを見つけて、少し見入っておられました。こちらからは、着物の帯と柳行李の衣類箱をご寄付いただきました。

さらに、別の納屋では、牛の背中にかける荷物運びの道具をご寄付いただきました。これは、ご本人も使っているのを見たことがない、とのことでした。80年以上前に使用されていたものでしょうか。

「それにしても大きくて立派なお家ですね。」というと、「・・・でも、ほら」と家の後ろから屋根の上に覆いかぶさるように倒れる一本の杉を指さされました。

この辺りは1月の地震よりも9月の大雨の被害の方が大きかったそうで、近辺の裏山には大規模な山崩れが起きて、このお宅の裏側にまわると杉の木々が倒れて、数本屋根に覆いかぶさっています。今後も一本ずつか、どさっとくるかも分かりません。

柳田国男のいう裏山とはこれでしょうか。

死後の霊が家の裏山の小高い山や森に昇る。まず荒魂(あらみたま)として山に昇り、次第に祖霊となり、最終的に神の地位にまで昇進すると信じられていたと言われます。

このお宅にも敷地内に先祖のお墓があり、先祖との結びつきの強さを感じざるをえません。裏山が崩れるということによって、TNさんは解体を決断されたのかもしれません。そう思いながら、杉の木立から射す光を見上げました。

<遠くのものを近くに見る>

光を見上げながらぼくは、人が自分の中に在る遠くのものに想いを馳せて、また、そのようなものがどこかにあることを信じて生きていることの不思議について考えていました。

遠くのものとは、文字通り遠い場所の何かだったり、畏れ敬う何かだったり、失われた大切な何かだったり、分かりえない何かだったり、人や時によってさまざまです。そんな心を動かされる何かを普段は見えないにもかかわらず、誰もが持っていると感じます。

ふとした瞬間に、遠くのものを近くに見たような気がして、ハッとする。遠くのものとはそんな類いのものです。

今回、能登を訪れて、解体される家屋を見ながら家主さんにお話を伺う中で、家主さんが目を細めてモノを見つめる瞬間を何度も目にしました。その度に、自分の中に在る遠くのものにもふと出会ったような静かな気持ちになれたような気がします。

長い時間を記憶したSOTOCHIKU素材には、それと共に過ごした他者の心が自分の心へ伝わる力があるのではないか、と思います。その伝わる力は、つくられた空間のSOTOCHIKU素材に装着されたQRコードが繋ぐ素材のストーリーを読むことによってより強められ、空間を訪れる人は本を読むように空間を体験できるでしょう。

そのQRコードは、誰にでも目につくような場所ではなく、空間の雰囲気を邪魔しないように制作物に融け込んだ目立たない場所に設置されることを心がけたいと思います。

今後、SOTOCHIKU空間を体験される方は、QRコードを見つけてください。そして、やさしい目で遠くを見るように時を過ごされることを願っています。

<GRIDFRAMEがつくっている空間>

5月には、銀座の画廊空間をつくらせていただきました。SOTOHIKU素材は使っていませんが、素材づくり、工場での制作力を生かした空間になりました。

SOTOCHIKU素材を生かした空間、ペンキのキセキ鉄板を生かした空間、GRIDFRAMEの制作力を生かした空間、「本を開くように空間に入る」空間にご興味のある方は、ぜひinfo@gridframe.co.jp
までご連絡ください。

次号も、SOTOCHIKU の様々な活動について、お伝えしたいと思います。

2025 年 5 月 31 日 GRIDFRAME 田中稔郎

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