未来に熱を取り戻す技術
みなさん、お元気ですか?GRIDFRAME の田中です。
突然ですが・・・
GRIDFRAMEは、「未来に熱を取り戻す技術」に徹する会社に変わります。

<時代は「現在を過去化する」から「未来を過去化する」へ>
【素材に触れない社会】
2004年頃に「創造性の連鎖」を考えたのは、設計者が細かいところまで設計を詰めてから製作・施工にかかる商業的なものづくりは、実際に素材に触れるつくり手に創造をさせないシステムだ、と感じていたからです。
建築学部の学生時代、模型をつくるときに「素材はできる限り実際に使うモノを使いたい」と思い、通常はスケール1/100でつくるのを1/25でつくり、巨大な模型であるためにドアから外に出せなかったり、隣の校舎に空いている部屋を見つけて勝手に占拠したりしていたぼくにとって、「素材を現場で触ることによって使い方を見つける」のは至極当たり前で、それこそが創造の源泉だと思っていました。

1995年 鉄道駅(数学科の校舎内にて)
実際に空間づくりを仕事として始めると、この当たり前が生かされないシステムに席捲されていました。空間のつくり手は設計者が決めたことを決められた通りになぞるだけなのです。
GRIDFRAMEを起ち上げたとき、ぼくは創造的な空間づくりをしたかったので、美術や建築を学んだ人に入社してもらいましたが、せっかく「自分の頭で考えてつくる」ことができる人を集めても、既存のシステムではその能力を生かすことができないことは分かっていました。
そこで、考えたのが「創造性の連鎖」です。
それは、複数の人間で大きな一つのものを構造(創造)するとき、ひとりひとりの小さな創造を連鎖させるという方法です。小さな創造と言っても、それは外部からのみ言えることであって、それぞれの個人の内部から見れば、みな無限を相手にした、生涯を賭けた創造でありうるのです。
このプロセスによって、少しずつ構造し、意味を生成していきます。一方でそれは、時間の作用を受けて、少しずつ消滅していく。人間は、こういうサイクルの中でらせんを描いて高みへ上り続けることができるのではないか、と。
だれがつくっても同じものを、決められた通りにつくりなさい、と言われるのとは明白に異なります。だからこそ、ぼくら全員は、圧倒的な熱量をかけてものづくりを続けてこれた、という自負があります。
それぞれのつくり手によって熱量高く自由につくられた集積としての空間は、その熱量の高さが使い手に創造性の連鎖として受け継がれ、時代に合わせて柔軟に姿を変えていくことができます。
そもそも、クライアントの熱量が高いからこそ、何千もある空間づくりの会社の中からぼくらを見つけて、空間づくりを託してくださったのだと思います。両者の圧倒的な熱量が合わさったときの力は計り知れず、訪れる人を動かしていくのだ、という実感を何度も味わうことができました。

2005年 赤丸ヂンギス 四谷3丁目
【現在を過去化する社会】
ぼくが「創造性の連鎖」によって抗っていた本質は、既存のシステムの中では、「現在は未来へ向かって開かれている」という感覚でつくり手たちがものづくりできない、ということだと思います。
決められたモノをつくるなら自分である必要はない。こう考えるのは、何をつくるかを自分で考えながら、つくることで生きていきたい人間にとっては当たり前のことです。
未来は開かれていて、過去は閉じている。つまり、未来は自分で変えていけるが、過去はもう決定していて変えられない。ならば、現在は、開いているのか?閉じているのか?
自分の生業で、現在、決められたモノをつくらねばならない、とすれば、それは、現在が閉じている、ということです。
それは、現在をすでに決定済みの過去のように扱っている、という意味で「現在を過去化する社会」(=現在における選択可能性を奪う社会)と言い換えることができるのではないでしょうか。
1998年にGRIDFRAMEを創業してから数年で、材料のカタログ化が急速に進みました。以前は、考えてつくらねばならなかったものがほとんど材料屋さんから手に入るようになりました。
こうして社会は、どんどん現在を過去化する方向へと進んできました。ただし、2026年現在からこの時代を見ると、そこにはまだ救いがありました。
【さらに、未来を過去化する社会へ】
先日、次世代のコンビニ、として完成したばかりの店の前を通りがかりました。

特筆すべきことはありません。細部まで丁寧につくられている、おしゃれな箱のコンビニです。 ぼくの人生の中で、時代の中心はこちら側へ向けて走ってきました。スッキリと洗練されたシンプルで快適で便利な空間。
つくった側のインタビュー記事もどこか坦々としています。ぼくには、どこにも熱狂が感じられません。
ぼくは、昨今のさまざまな大規模開発プロジェクトにも、同じような空気を感じていました。
もしかすると、大資本を動かせる立場にいながら、現在の価値基準ではもう次へ行けない、と身体的に感じ始めている人が増えているのではないでしょうか。これは、開いているはずの未来が閉じ始めていること、を表現しているのかもしれません。
なぜ、そうなるのでしょう。
市場調査、成功事例、評価指標、ブランド管理、リスク回避、効率化、AIやデータによる予測。・・・
こうしたものが重なり合うことで、ぼくらの社会には「未来が訪れる前に、未来を説明済みにする力」が強く働くようになってきました。
「未来を予測すること」と、「未来を生成すること」は違います。未来を予測し、先に確定し、その未来から現在へ逆算すると、未来はまだ来ていないのに、すでに過去のように扱われます。
ならば、今ぼくたちは「未来を過去化する社会」(=未来における生成可能性そのものを奪う社会)へ向かっているのかもしれません。
2000年頃に「現在を過去化する社会」を批判しながら、思い浮かべていた顔は、例えば、20世紀の巨匠建築家ミース・ファンデル・ローエでした。ミースは自作の建築について内装に至るまで、完成の姿を保つことを強く求めました。未来の姿は、設計者によって先に決められていたのです。

ミース・ファンデル・ローエ トゥーゲントハット邸 (wikipediaより)
けれども、それでも社会は平気で回り続けていました。いくら批判してもびくともしないくらい社会は安定していました。きっとそこにはまだ熱狂があったのです。
その後、2010年頃から、SNSが急速に普及し、世界から最新の注目の空間プロジェクトの画像を誰もが見れるようになりました。GRIDFRAMEにもそんな画像を持ってこられて、「この空間をそのままつくってほしい」と、目を輝かせて訪れるクライアントが現れました。
同じ頃から、CGの技術も急速に進化し、安価で簡単に写真のような空間パースをつくれるようになりました。そして、それを求めるクライアントが急激に増えました。
もちろん、SNSもCGも、それ自体が悪いわけではありません。むしろ登場した当初は、新しい世界を一気に見せてくれる技術として、大きな熱狂を生みました。
けれども、人間はすぐに何にでも慣れてしまいます。
世界中の優れた空間を日常的に見られるようになると、どんな空間にも既視感が生まれます。完成前からCGによって完成形を見られるようになると、完成した空間は「初めて出会うもの」ではなく、「すでに知っているもの」になります。
未来が、到来する前に消費されてしまうのです。
そして少しずつ、まだ見ぬものに賭ける熱が失われていきました。その結果、ぼくらがどんなに考えを尽くして提案しても、それが受け止められることが少なくなってきたのです。
それでも、ぼくらは変わることなく「創造性の連鎖」でつくりながら考える、という試行錯誤を繰り返し、この潮流に抵抗し続けていました。
ぼくらにもわからない「何ができるか」を愉しみに待っていただくこと。
その状態こそがクライアントとつくり手双方のエネルギーを最大化できるとずっと信じているからです。
そのため、2015年頃までは空間の本質だけを伝える、詳細を省いた手描きのパースだけで提案してきました。しかし、その後はとうとう手描きのパースでは受け入れてもらえない時代になりました。

未来を、未来のまま待つことが難しくなっていったのです。
現在、「未来を過去化する社会」へ向かっていることを批判するとき、ぼくは冷めてしまったこの世界全体の未来を憂いています。
未来が閉じれば、熱狂は生まれません。
熱狂は、まだ何が起きるかわからないところにしか生まれません。
【未来を生成する方向】
未来から現在へ遡行する方向とは反対に、現在から未来へ向かって進む方向があります。
ぼくは、それを「未来を生成する方向」と呼びたいと思います。
何ができあがるのかを最初に決め、その完成形から逆算して現在を決めていくのではない。今ここにある素材に触れる。人に出会う。その場所に立つ。そこで起きたことを受け取り、次に何をするかを考える。
すると、最初には想像していなかった未来が少しずつ姿を現してきます。
考えてみれば、先述の「創造性の連鎖」もそのための方法でした。
ひとりの設計者が未来の完成形を決め、それを大勢の人間が正確になぞるのではなく、つくり手ひとりひとりが、その時点までにつくられたものを受け取り、自分の創造を加えて、次の人へ渡していく。
もちろん、何も決めないわけではない。方向は決める。構造も考える。責任も引き受ける。
けれども、未来の細部までを現在から支配しない。そこに、素材やつくり手や偶然が入り込める余白を残しておく。
そうすることで初めて、その場でしか起こらなかったことが、空間の中に残っていきます。
SOTOCHIKUで扱っている壊れたモノも、未来を生成する方向と深く関係しています。
朽ちかけた木、割れた瓦、焼けた柱、剥がされた壁。
それらは一度、それまで与えられていた役割から外れてしまったモノです。
柱だったものが、もう柱ではない。壁だったものが、もう壁ではない。それらが「次に何になるのか」は、まだ決まっていない。
ぼくらが壊れたモノに惹かれるのは、古いからでも、環境にいいからでもありません。
そこに、まだ決められていない未来が残っているからなのだと思います。
現場へ持ち込み、実際に触り、置いてみる。想像していた使い方が合わなければ、違う使い方を考える。あるつくり手が別の可能性を見つければ、そちらへ進んでみる。

そうしているうちに、こちらがモノを使っているのか、モノの方から使い方を教えられているのか、だんだんわからなくなってきます。
そのとき、未来は「実現すべき完成形」ではなくなります。

現在との応答の中から、未来の方がこちらへ姿を現してくる。そして、完成したあとも生成は終わらない。
人が使う。傷がつく。汚れる。直される。植物が育つ。別の人が何かを付け加える。
人間が「する」ことで始まったものに、時間や他者による「なる」が入り込み、空間は少しずつ作者の手を離れていく。ぼくは、それがいいと思っています。
未来を生成するというのは、何もしないことでも、偶然に任せることでもありません。自分たちの意志で未来を最後まで占有しない、ということなのだと思います。
「する」ことをやめるのではなく、「する」が「なる」に開かれている状態をつくる。その「なる」の余白があるから、自分では思いつかなかった何かに出会うことができる。
そして、その瞬間に熱が生まれます。
だから、未来に熱を取り戻すとは、誰かが熱狂を演出し、外から注入することではありません。
まだ何が起きるかわからない場所を、未来の中にもう一度つくること。
熱が生まれる余地を、未来に返すことなのだと思います。
<イムさんの「あったかい」>

前のお店の内装が解体されて、コンクリートのスケルトンになった現場に初めて入る。
「空気が変わりましたね。」とぼくが言う。
「変わりました。・・・あったかい。」とイムさんが応える。
・・・ぼくの中に「あったかい」が残る。
なぜなら、「つめたい」という人の方が圧倒的に多いでしょうから。
イムさんの「あったかい」とは、何でしょうか?
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古いビルにはさまざまな気配が宿っています。
イムさんは、気配に敏感な人です。
たくさんの人が表層的に感じる印象とは明らかに違います。
「地下の駐車場みたいなお店がいい。」とも言われていました。
きっとイムさんの地下駐車場のイメージは「あったかい」なのでしょう。
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「HORUMON EITA.(えいた)」は、イム・テジンさんと奥さんの真由美さんが営む小伝馬町の焼肉店。
韓国ではエンジニアだったイムさんは2008年に来日。
生活のためにアルバイトを転々としていた頃、焼肉店に魅力を感じ、飲食店を開くという目標を持つことになります。
2017年に焼肉もまだ素人同然で肉の仕入れ先も決まっていない中、小伝馬町に焼肉店をオープンしました。
今回の店から数百メートル離れた小さなお店です。
イムさんは「お得意さんのテーブルについて肉を焼いてあげるふりをしながら、肉の焼き方を勉強していった」と笑って語るような人です。
また、おいしい肉に出会うと全国どこへでも生産農家を訪ねては、仕入れ先を獲得していきました。
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コロナでお客さんがめっきり減って「もう店を閉めようか」と考えていた頃、たまに一人で来られるご年配の女性から静かに封筒を渡されました。中には、お金が入っていました。
ほとんど言葉を交わしたこともない方でした。心が激しく動きました。
そのことがなければ、それきり店はなくなっていたかもしれません。
「その人は恩人です。」
でも、それきりその人はお見えになられていません。
居場所も分からなくて、お礼も言えていません。
「その日から自分は変わったかもしれないです。」とイムさんは言います。
それから少しずつ「そこにしかないモノが食べられる穴場的なお店」として知られるようになり、今回大きな箱への移転を決めました。
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店を訪れるのは、小伝馬町で働く人も多いけれど、子供連れのお客さんも多い。
ぼくの知る限り、イムさんたちは子供が大好きで、子供たちはみなイムさんになついています。
イムさんは身体が大きくて、強そうで、やさしくて、いつもニコニコしています。
子供からの視線では、きっと腕にぶら下がりたくなるタイプです。
「子供が生まれたらイムさんに抱っこしてもらいたい」と赤ちゃんを連れてくる母親もいます。
何かご利益(りやく)があるようなオーラを感じるのかもしれません。
大人の常連さんたちも、イムさんが客席に来てくれるのをみんな愉しみにしています。
誰もがイムさん自身のことを「あったかい」と感じているのが分かります。
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でも、「地下の駐車場みたいなお店がいい。」と言う、イムさんの「あったかい」の感覚は分かりやすいモノではありません。
これまでの通信で何度も書いてきたように、人間が何かに向かい合うとき、①経済的視点②物語的視点③単独的視点の3つの視点が生じています。
イムさんの「あったかい」が①経済的視点に存在しないことは明らかです。では、②物語的視点はどうでしょう?
地下の駐車場には、特別な意味も、共感も、ブランドも、歴史も、理念も存在しない。むしろ、そこは意味から取り残されたような場所です。
つまり、イムさんの「あったかい」は③単独的視点からしかやってきません。
何の意味も与えられていない、殺風景と片付けられるような空間から何かが生まれるかもしれない気配を、イムさんは「あったかさ」と表現しているのではないでしょうか。
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ぼくらがつくろうとしているのは、「あったかい空間」ではありません。
つくることによって、イムさんが感じている「あったかさ」が、どこから生まれているのかを探っていこうと思います。
その気配は、意味を与えることで生まれるのではなく、まだ意味になっていない存在たちが出会うところから立ち上がるのではないでしょうか。
だからぼくらは、さまざまなトポロジカルな制作(=そこに宿る意味を剥ぎ取ることで、そこにいる人の心が無意識のうちに遊び始めることを目的とした制作)を試みることになりました。
【下北沢 落書きのビル】


下北沢は、イムさんが来日した2008年に初めて美容室で髪を切った町です。その美容室が、GRIDFRAMEがその年につくらせていただいたReal Clothes(vol.20を参照)でした。この美容室が好きで、真由美さんと一緒にずっと通っていたそうです。
イムさんたちは下北沢の街を歩くのが好きでした。なかでも目立って古くて落書きだらけの建物「北沢ビル」は好きな建物のひとつだったそうです。


ちょうど今回の焼肉店の制作期間中にその建物が取り壊されることになりました。
北沢ビルは、サブカルチャーの町・下北沢の象徴的存在でした。ぼくが訪れたときもロックな服装の若者たちが落書きの前で写真を撮っているような場所です。ここにあったお店の思い出と相俟って、たくさんの人がその建物の解体を淋しく思っているでしょう。

今回、この建物につくらせていただいたCAFE、Ballondesseのオーナーがビルオーナーに掛け合ってくださったおかげで、SOTOCHIKU素材として、落書き部分の最もエネルギーの高い部分をいただくことができました。






その高いエネルギーが、小伝馬町のえいたに持ち込まれて、どんな未来を生み出していくでしょうか。

【千葉・南房総 農家のブロック塀】



【埼玉・上里町 支線アンカー・サザンカ・柿・木扉】










【石川県・珠洲市北山 木扉】


【千葉・鋸南町保田 ペンキのキセキ】






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<空間をつくる会社から、未来に熱を取り戻す技術の会社へ>
ぼくらはこれまで、空間をつくる会社として仕事をしてきました。店舗をつくり、オフィスをつくり、住宅をつくり、家具をつくり、看板をつくってきました。
けれども、ここまで考えてくると、ぼくらが本当につくりたいものは、空間そのものではないのかもしれない、と思っています。
空間を通して、そこにいる人の感覚が少し変わること。
それまで見えていなかったものが見えること。
決められていた関係が少し緩み、何かが始まること。
つまり、未来がもう一度、まだ決まっていないものとして開かれること。
そのために、ぼくらは空間をつくってきたのではないか、と思うのです。
ならば、これからGRIDFRAMEが扱うものは、必ずしも空間だけである必要はありません。
壊れたモノかもしれない。
誰かが捨てられずに持っているものかもしれない。
地域に残された場所かもしれない。
修理かもしれないし、ワークショップかもしれない。
誰かと誰かを出会わせることかもしれない。
あるいは、まだ名前のない仕事かもしれない。
もちろん、これからも空間はつくります。むしろ、今まで以上につくりたいと思っています。
ただし、「空間をつくること」を先に目的として置くのではなく、その場所に未来を生成するために、必要であれば空間をつくる。
そして、必要でなければ、つくらない。
そういう会社になりたいと思う。

小伝馬町 horumonえいた オープン数日後 5歳の男の子が描いた落書き
これは、事業領域を広げる、という意味ではありません。むしろ逆です。
やることを先に決めず、ひとつひとつの場所、人、素材に向き合いながら、「ここでは何が必要なのか」をその都度考えます。その結果として、空間になることもあれば、モノになることもあり、仕組みになることもあります。
なにより、ぼくら自身が、未来を過去化しない会社でありたい、と思います。
「GRIDFRAMEはこういう会社です」と完成形を決め、その未来から現在へ遡行するのではなく、出会ったものに応答しながら、自分たち自身も変わっていく。
だから、「これからGRIDFRAMEは何屋になるのですか」と聞かれたら、「まだ決めていません」と答えることになると思います。
ただ、一つだけ決めていることがあります。
未来が閉じようとしている場所に、もう一度、生成の方向をつくること。
誰かが決めた未来を正確になぞるのではなく、今ここにあるものから、まだ見たことのない未来が立ち上がる余地をつくること。ぼくらは、そのための方法を、これまで空間づくりの中でずっと探してきたからです。

小伝馬町 horumonえいた オープン2か月後 GRIDFRAMEはマガジンラックとして使われていた
素材に触れること。人に任せること。偶然を受け入れること。壊れたモノを使うこと。時間に任せること。使う人に続きを渡すこと。
その一つひとつは、単独では特別な技術ではありません。
けれども、それらを組み合わせながら、未来を閉じずにものをつくることは、これからますます必要になるのではないかと思っています。
だからGRIDFRAMEは、「空間をつくる会社」から「未来に熱を取り戻す技術の会社」へ変わります。
熱をつくるのではない。熱狂を演出するのでもない。
まだ何が起きるかわからない余地をつくる。
その余地から、人やモノが勝手に動き始め、気がつけば熱が生まれている。
ぼくらがこれからやりたいのは、そういう仕事です。

小伝馬町 horumonえいた オープン3か月後 イムさんが大事にしているフィギュアが迎えてくれた
<まだ決まっていない未来へ>
ここまで書いておきながら、ぼくら自身の未来がどうなるのかは、まだわかりません。
何をつくる会社になるのか。
誰と出会うのか。
どんな仕事が始まるのか。
それを今、決めてしまわないことから始めたいと思っています。
もし、自分の生活や店や会社や地域の未来が、すでに決められてしまっているように感じている人がいたら、一度、話を聞かせてください。
何をつくるかは、そのあとで考えればいいのです。
空間かもしれない。
何かひとつのモノかもしれない。
一緒に手を動かす場かもしれない。
あるいは、何もつくらない方がいいのかもしれない。
最初から答えを持たずに出会うこと。
そこからしか生まれない未来があると、ぼくらは思っています。
GRIDFRAMEは、未来に熱を取り戻す技術の会社へ変わります。
何をつくる会社になるのかは、まだ決めていません。
未来を先に決めないことから、その仕事を始めたいと思っています。
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次号も、SOTOCHIKU の様々な活動について、お伝えしたいと思います。
<SOTOCHIKU通信アーカイブ>
過去の通信すべて、アーカイブページでご覧になることができます。
https://sotochiku.com/category/tsu-shin-archive/
SOTOCHIKU通信へのご感想・ご要望などいただけましたら、大変嬉しく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
配信停止をご希望される方は、田中まで facebook メッセージ、または PC メールtanaka@gridframe.co.jp へご連絡ください。
2026 年 8 月 31 日 GRIDFRAME 田中稔郎

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