イングリッシュガーデン

手入れをしているのに、自然のままのように見せるイギリス式庭園。

フランス式庭園、イタリア式庭園が植物を幾何学に成型するのに対して、対照的である。

自然のままであることを願い、究極まで理性によってたどり着こうとするのがアングロサクソン的なるものだと解釈している。

ABCD分析で言えば、Cの典型であろう。

だが、自然であることそのものには決してたどりつけない。

まるで自然は無限遠点にあるかのようだ。

BDへ移動すれば、たどり着けるよ、というのがぼくらの考えだ。

もっと肩の力を抜いたほうがいい。ぼくだったら、そうする。

でも、そのアプローチをするからこそたどり着けるものがあるのだろう。

どちらが正しいという問題ではない。

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