壊れても壊れても、起ち上げていく、新しい未来像

みなさん、お元気ですか?GRIDFRAMEの田中です。

<「見つける」という最後の砦>

最近、家のすぐそばにある歩道橋が再塗装されて、姿が変わりました。

みなさんは、どちらが好きですか?

再塗装前2024.2.28             再塗装後2025.10.14

・・・・・・・・・・

モノが時間を記憶して、人がそれを消して機能が保たれ、モノはまた時間を記憶していく。

そのサイクルの中で、時間の記憶を心に刻む人はどれくらいいるだろうか?

この歩道橋を管理する人たちに、時間の記憶という概念はないだろう。個人としてはあったとしても、管理者としては、ない。

世の中の全てが、そのように動いている。

それが当たり前だと知っているが、不思議と言えば不思議ではないか?

・・・だからと言って、管理者が「時間の記憶」と言い始めたら、それはそれで気持ちが悪い。いや、むしろ、最悪だ。

時間の記憶は個人が見つけるモノだ。

予定調和になってしまっては、「見つける」というぼくらの最後の砦が失われてしまう。

だから、このままでいい。・・・このままがいい。

20年後の2045年には、また時間を記憶した姿に変わるかもしれない。その前に機能的に寿命が来て、壊されてしまうのかもしれない。

時間の記憶は、ただ個人の側に在る。

・・・・・・・・・

<1994年米国ニューヨーク州バッファローにて>

スクラップヤードにはあらゆるものが集まります。高級車のスクラップだろうが、大衆車のスクラップだろうが、その価値は重さで測られる存在に変わっています。そんなかたまりたちが好き勝手にゴロンと転がっている。「混沌」という言葉がよく似合う、なにやら懐かしいような場所です。

機械で叩かれたり引きずられたり風雨に晒されたりしながら変わりはてたスクラップたちは、もうこれ以上壊そうとしても壊れることがない、という意味で、最強のならず者集団といった貫禄があります。

その頃、ぼくは大学院生で建築設計課題の模型材料を探しにスクラップヤードへ日常的に通っていました。最初は「時折思わぬかっこいい材料に出会える場所」くらいにしか思っていなかったのですが、だんだんとこの空間全体がたまらなく魅力的な場所として感じられる、という不思議な感覚を得ました。

なぜか?・・・ぼくは、その理由を考え続けました。

やがて、スクラップの山を前にすると次の3つの視点が否応なく交錯することに気づきました。

①経済的価値としての重さとしてのみ見る(経済的視点)
 ・・・これがスクラップヤードの存在理由だが、巷に在るときと比べればほぼ価値を失っている

②元々の姿の残像として見る(物語的視点)
 ・・・モノにまつわる物語がさまざまな想像を掻き立て、感情に働きかける

③現在のありのままの姿として見る(単独的視点)
 ・・・現実に一対一で向き合い、演繹的に何かを生み出そうとする創造的視点

つまり、この3つがバランスを欠いた別々の視点として、同時にぼくの目に飛び込んでくることに、魅力の秘密があるのではないか。

【社会の中での視点】

スクラップヤードに来る前、まだ社会の中にあるときは、①②③は不可分に結びついています。そのために、①②を引き剥がして③ありのままの姿と一対一で向き合うことは困難です。

例えば、人気の高い、高価なエンジンが捨てられるケースを考えてみます。

社会の中にあるときのエンジンの①経済的視点:価格は、②物語的視点:例えば、歴史・人気・評判、③単独的視点:ありのままの姿と不可分なモノとして、安定的な視線が注がれています。

この安定的な視点とは、別の言い方をすれば、社会の中での固定化された視点であり、だれもが同じ価値を認めるような視点です。例えば、値段が高く、人気が高いモノは、本質的にも優れたモノに違いない、と見なされがちで、ありのままに向き合おうとする「自分」の視点が表れにくいのです。

【スクラップヤードでの視点】

しかし、捨てられて、社会からはみ出してしまうことで、スクラップヤードに来た途端に、①②③の視点が分離されます。

スクラップヤードへ来た途端に①経済的視点:重さで測られる価格に変わり、おそらくは何万分の一に価格が激減します。そのとき、ぼくらはスクラップの山の一部として対象を捉えています。

スクラップの見た目はまだ元々の姿を想像できることが一般的です。そこで、②物語的視点が成立します。例えば、「かつてはあれほど人気のエンジンだったのに」という視線が注がれます。そのとき、ぼくらはエンジンのカタチを認識できる範囲で対象を捉えています。

さらに、スクラップヤードで変形したり、傷ついたり、錆びたりした、③今のありのままの姿を見る:単独的視点が成立します。ぼくの場合、建築模型の材料を探しに行ったのですから、この視点で見ることが目的でしたが、①②の視点が別に成立していることによって、③の視点をより独立して成立させやすいのではないか、と考えます。そのとき、ぼくはさらに焦点を絞って、個々の対象のカタチと質感を捉えています。

図のように①②③という順序で、混沌としたスクラップの山からだんだん焦点を絞っているようですが、実際にスクラップの山を前にすると、視点は行ったり来たりしながら交錯し、頭や心が目まぐるしく動く中で、欲しい材料を見つけ出していきます。ここまで考えが至ったとき、ぼくは、スクラップヤードがなぜたまらなく魅力的な場所として感じられるのか、の答えに辿り着きました。

それは、スクラップヤードは分け隔てのない、固定化とは無縁な「次に何が(誰が)入ってきてもおかしくない空間である」から、そして、固定化されないからこそ「主体的な行動を促してくれる」からです。

スクラップの山は、ぼくのように何かを探しに行った人ではなくても、そこに溢れる予定不調和に生成されたカタチや質感に、ふとした瞬間に見入ってしまう可能性を秘めています。そして、誰かがそこに何かを「見つける」かもしれません。

このスクラップを生活の中に入れていけないだろうか?人間がスクラップと向き合うことで、人間の主体性が呼び起こされる空間ができないだろうか?・・・とぼくはそう考え始めました。

しかし、スクラップヤードに友人を連れて行ったときに、友人の反応を見て知ったことがあります。それは、混沌が目の前に際限なく広がると、多くの人はそれに向き合うより先に怖れを感じてしまう、ということです。

ほとんどの人は、好んで混沌に向き合おうとはしません。しかし、せめて空間にその存在が許されれば、「見つける」という豊かな経験が開かれる可能性を残すことができます。

そこで考案したのがGRIDFRAMEsystemです。

<グリッドフレームにとって「混沌」とは>

GRIDFRAMEsystemの説明に入る前に、考えたいことがあります。ぼくがスクラップヤードの混沌の中で体験した不思議な感覚は、スクラップヤード以外の混沌でも同様なことが言えるのでしょうか。

実は、会社を興した1998年から2004年くらいまでの6年間はGRIDFRAMEsystemを頻繁に使用していたのですが、それ以降、ほとんど使用することがなくなりました。その理由は、スクラップの混沌が人に受け入れられなかったからです。

スクラップの混沌が持つ力に特別なモノがあると感じて始めたGRIDFRAMEsystemをもう使うことはないだろう、と諦めました。そして、予定不調和を空間に取り入れるというコンセプトだけを残して、「創造性の連鎖」というコンセプトを立ち上げ、その後も空間づくりを続けてきました。

それから、20年間が過ぎ、2024年に久しぶりに新しいバージョンのGRIDFRAMEsystemをつくり、空間制作への使用を再開しました。

それは2017年に、「風雨や日光に晒されたり、生命活動の場にあり続けることで 時間を記憶した素材」を採取して新たな空間の素材として使用するSOTOCHIKU事業を開始したことによります。

建物が解体される現場から素材を集めている中で、ある混沌とした現場に出会いました。

それは、2024年元旦に起こった能登地震で壊滅した酒蔵の現場でした。その年の4月、ぼくは、激しく傾いた柱で支える、今にも壊れそうな屋根の下で散乱したモノたちに向き合いながら、同時に、覚醒している自分とも向き合っていました。

1994年、スクラップヤードにいる自分が思い起こされました。スクラップヤードと、地震の被災地との違いはなんだろうか。

スクラップヤードの①②③に対応する3つの視点は、やはり被災地でも分離してバラバラに成立しています。

①放っておけば、全てガレキと呼ばれて片付けられてしまう(経済的視点)

②150年の酒蔵の歴史や地震の瞬間を記憶している(物語的視点)

③壊れたモノを、現在のありのままの姿として見る(単独的視点)

スクラップが「捨てられて」社会からはみ出してしまったように、被災地では地震で「壊れて」社会からはみ出してしまったのです。

「社会からはみ出す」とは、①の「想定されていた経済的価値を失う」ことを意味するのだと分かります。

グリッドフレームにとって混沌とは、「社会からはみ出したモノたち」による混沌です。今後、この意味での混沌を、ぼくらの日常の中に取り入れていくツールとして、GRIDFRAMEsystemを活用していきたいと思います。

混沌には次のような力があると信じて・・・。

1.混沌とは、分け隔てがない状態であり、どんなモノも、どんな人も、受け入れることができる。

2.混沌は、人に一対一の関係性でモノに向き合うことを要求してくる。つまり、混沌は主体性を呼び起こす力を持っている。

<GRIDFRAMEsystem>

GRIDFRAMEとは、鉄でつくられた300x300ピッチの格子状骨組です。例えば、これを2重にして、その間にスクラップ群を挟めば、スクラップの壁をつくることができます。

【GRIDFRAMEの役割:①混沌との共存が可能】

混沌の象徴ともいえるスクラップ群の前に、秩序の象徴ともいえるGRIDFRAMEのレイヤーを重ねることで、怖れを感じさせるような過剰な混沌を抑制し、人は安心してスクラップと共存することができる。

【GRIDFRAMEの役割:②フレームが写真のフレーミング効果となり、混沌に向き合うことが可能】

300x300ピッチに分割されることによって、一つ一つのマスが写真のフレーミングの役割を担い、人は一マス毎に写真を見るように向き合うことができ、そこに美しさを見い出す可能性が開かれる。

【GRIDFRAMEの役割:③システム材としてさまざまなカタチ・大きさ・用途への組換えが可能】

GRIDFRAMEはさまざまなカタチ・大きさに組み換え可能であり、工夫次第で棚・テーブル・ベンチ・部屋などさまざまな用途のモノをつくることができます。

2000年前後に、東急ハンズなどでGRIDFRAMEsystemをシステムパーツとして売るためにパーツを使ってできるモノのサンプル制作をしていたら、パーツは全く売れず、サンプルが売れるということが起こりました。

当時の日本では自分でつくってはくれないのだな、とパーツ売りをあきらめて、自分でものづくりをしていく道を選びました。

<人は混沌を必要としているか?>

完璧に整理されたオフィスをイメージしてください。ここでは全てが効率的で、予測可能です。きっと最初は快適ですが、・・・やがて疲弊していく人も多いのではないでしょうか。

なぜなら、そのような空間では何かを「見つける」ことができないからです。見つけるとは、紛れもなく「自分」にしかできないことです。

そんな自分を封じ込められてしまう空間が、悪意もなく、むしろ善意によってつくられてきた中で、さまざまな病理が蔓延しているのが現代の世の中ではないでしょうか。

例えば、自律神経失調症は交感神経(ストレス反応)と副交感神経(回復モード)のバランスが崩れるとその症状が出てくると言われ、さまざまな要因があり、過ごす空間にも密接な関係があるといわれています。

その対策として、オフィス空間の中に仕事を推進するための工夫のみではなく、リラックスできるようなさまざまな工夫がなされている例も、たくさん出てきました。例えば、光や音の環境を自然に近づけたり、植物を配置したり、色彩を暖色系にしたり、適度な個人空間を設けたり、一部の天井を高くしたり、・・・これらは全て「癒し」のための工夫だと思います。

しかし、ぼくは癒しだけでは足りないと感じています。弱っている心を回復させるために癒しが必要なのは明らかですが、さらに立ち上がって前へ進むためには「奮い立たせる」何かが必要ではないでしょうか。

昨年の能登・宇出津のあばれ祭で体感した、死と生、秩序と混沌、壊すことと守ることが一つの呼吸となって再び世界を動かす「奮い立たせる」力。これこそ、弱っている心を真に回復させるものであるなら、「固定化されたあらゆる空間に混沌を持ち込む空間づくり」に専念していきたいと思います。

<壊れても壊れても、起ち上げていく、新しい未来像>

世の中には、どうしてこんなとんでもないことになったんだろう、と不思議に思うことがたくさんありますが、それについて説明されるときに、ポジティブフィードバックという言葉をよく耳にします。最初の変化が同じ方向の変化をさらに促進し、らせん的循環をなして、規模を拡大していく状況を招く仕組みです。

ポジティブという言葉が付いていながら、よい意味で使われるとは限りません。それには善循環と悪循環がありますが、どちらかといえば、悪循環について使われることの方が多い印象があります。

例えば、世界的な悪循環のポジティブフィードバックの代表的なものとして、戦争が起こるのを止められないループがあります。

戦争を止められないループをAIに聞くと・・・

紛争・緊張の発生→武器需要の増加→軍需産業の利益拡大→政治への影響力強化→軍事予算の増額→さらなる武器開発・販売→新たな紛争の火種

これは一国だけが軍縮しても安全保障上のリスクが高まるシステムですし、ましてや個人の力ではどうにもならない、とほとんどの人が諦めてしまうような悪循環ですが、これを止める何かが作用しなければ、ウクライナやガザで起こっていることがもっと拡大されて、地球は完全に滅びてしまいます。

では、何が抑止力になっているか?もし、その主要な力が市民の良心から来る「人道」「環境」「平和」を掲げた活動であるなら、ぼくらは未来に希望が持つことができますが、現実にはその影響力は今のところ大きいとは言えません。

これもAIに訊いた答えを要約すると・・・

・・・・・・・・・・
残念ながら、抑止力となっているのは世界の権力者側の人間たちが権力者であり続けようとする意志です。権力者側は、「全滅」ではなく「持続的緊張」の方が収益を生むことから、これを保つためにローカルな戦争を維持することで破壊しすぎないようにしています。

市民による平和のための活動をどのくらい弾圧するか、も権力者側が自分たちの地位が脅かされない程度に市民の感情をコントロールしている、というのが実態です。
・・・・・・・・・・

このようなAIの回答を見ると、世界規模の構造の前では、ぼくら個人は全くの非力であるかのように見えますが、実は個人の力が発揮されるのは、戦争が終わった後です。

戦争のみならず、さまざまな災害においても、誰かががれきの中で立ち上がり、生きるための小さな部分を生成します。すると、それに共振する者たちが繋がり、部分の集まりとしての小さな全体が生み出される。そのようにして、世界を再生していくのは、いつもひとりひとりの力ではないでしょうか。

前号で書いた文章へつながっていきます。

・・・・・・・・・・
「全体がある」と考えずに、「部分の集まりとして全体が生み出される」と考える。こうして生み出された全体も、「諸部分の傍らにあるひとつの部分」でしかない。

どこまで部分を集めても本当の全体へはたどり着けない。だから、全体から話を始めること自体がおかしな話だということになります。部分から始めれば、「あらゆる差異を保持しようとする要素と要素の間に、もろもろの横断的な統一性を作り上げる」ことができるのです。

この考えがすばらしいのは、ぼくらのような小さな会社でも、個人でも、力を持たない者が新しい世界をつくり上げていける、という未来を表しているからだと思います。笹山央さんのおっしゃる「限りなくゼロに近い、ゼロでない存在」が、壊れても壊れても、起ち上げていく、新しい未来像。
・・・・・・・・・・

「矛盾はつねに無矛盾になろうとする方向を持つ」(森敦)

部分である限り矛盾は保たれますが、全体に到達したと認識した瞬間に無矛盾になります。すなわち固定化し、全体から話を始める権力者が現れます。

あらゆる内的善循環の共振は、こうして腐敗していきます。ならば、固定化して循環が死ぬことを脱皮として受け止め、次の混沌に向かっていく。

壊れても壊れても、起ち上げていく。GRIDFRAMEsystemは、そのためのツールだと考えています。

この創造する無限のループの中に、ぼくは生きたいと願っています。

<GRIDFRAMEsystemの販売を再開>

GRIDFRAMEsystemの販売をあきらめてから四半世紀が過ぎて、またパーツとしての販売を再開しました。「見つける」という主体的な行動を、空間づくりという創造的な行為によって担う人々が増えていくという、時代の転換への確信があるからです。自分でものづくりをされたい方、取り扱ってみたいという方などご興味のある方は、以下のURLの「お問合せ内容」の最初に<パーツ>と書いて、お問合せください。

https://gridframe.co.jp/contact/

なお、今号では、SOTOCHIKU素材の寄付先を引き受けてくださっているNPOさんをご紹介させていただく予告をしていましたが、長くなってしまったので次号でのご紹介に変更させていただきます。

次号も、SOTOCHIKU の様々な活動について、お伝えしたいと思います。

<SOTOCHIKU通信アーカイブ>

発刊から1か月以上経ったものは、アーカイブページでご覧になることができます。

https://sotochiku.com/category/tsu-shin-archive/

SOTOCHIKU通信へのご感想・ご要望などいただけましたら、大変嬉しく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

配信停止をご希望される方は、田中まで facebook メッセージ、または PC メールtanaka@gridframe.co.jp へご連絡ください。

2025 年 11 月 30 日 GRIDFRAME 田中稔郎

Comments are closed

Wordpress Social Share Plugin powered by Ultimatelysocial