能登プロジェクト開始

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みなさん、お元気ですか?GRIDFRAMEの田中です。

3月、ソトチクで「能登半島地震で壊れたモノを未来へ活かすプロジェクト」を開始しました。

能登半島地震で壊れた、時間を記憶したモノをSOTOCHIKU素材として寄付していただき、どこかの町でその記憶が受け継がれていくことを実現させることを目的とします。

このプロジェクトを始める動機については、以下のリンクに書いています。

https://drive.google.com/file/d/1NXitApAzz-9uQQ_6nRypwwl1aeW15nR1/view?usp=sharing

実際にスタッフが現地へ行って、撮影してきた写真やビデオを見て、言葉を失いました。何よりもこの活動によって、被災された方々の力になることができるのか?少しでも元気づけることができるのか?

この試みの本質はここにあることを改めて確認しながら、ここに活動報告をします。

<能登半島活動報告>

知人のいない能登半島の被災地にコンタクトをとるために、まずはスタッフが1泊2日の石川県災害ボランティアに参加し、珠洲市蛸島町での活動から始めました。

珠洲市は能登半島の先端に位置し、金沢市から車で3時間ほどかかります。人口1.4万人で本州最小。高齢化率50%以上。古くから漁業で栄え、江戸時代には北前船の寄港地で輪島と共に交易の富を得ていたそうです。

3月20日(水)

強風が吹き、みぞれが降る中、ボランティアバス送迎のある金沢駅前へ。風に煽られながらなんとか夕方にたどり着き、車中泊。明日に備えます。

3月21日(木)

8時15分、ボランティアバスで金沢駅出発。穴水町の奥能登ベースキャンプを経由して、珠洲市ボランティアセンターへ。各班に分かれ、珠洲市蛸島町に到着。昼過ぎに作業開始。

蛸島町の現況は、伝統的な焼杉の壁と黒い光沢のある能登瓦の街並みが90%以上崩壊した状況。被害の様子は想像以上でした。

作業内容は、倒れたブロック塀の撤去、散乱した瓦の片付け。

蛸島町は人口約5000人で、港を中心に海岸線と平行に大通りがあり、左右に細い道が毛細血管のように広がる漁村特有の街並みを形成しています。被災した町は建物の被害が甚大であるうえに、電気や水道が復旧しておらず、戻って暮らすことは大変困難な状態です。たぶん現時点で暮らしている人はほとんどいないように見受けられました。

17時10分、奥能登ベースキャンプ到着。

3月22日(金)

7時20分、奥能登ベースキャンプ出発。

この日は蛸島町の海水浴場やホテルが近い比較的新しい住宅の片付け。外観は住宅に大きな被害はないように見えますが、中は足の踏み場もないほど壊れ、モノが散乱しています。ボランティアの作業に合わせて避難所から来られた家主の話では、家の再建をあきらめ金沢へ移住する予定だそうです。

家族の中に生後間もない赤ちゃんがいたので話を訊くと、元旦の地震直後に陣痛が始まり、珠洲では医療機関が壊滅的被害を受けたため、ドクターヘリで金沢へ運ばれ、翌2日に出産したそうです。地震が人の命を奪い、家を壊し、家族の思い出を奪った直後の、新しい命の輝き。がれきの風景の中で、赤ちゃんがキラキラと眩しく見えました。

15時、奥能登ベースキャンプを出発

17時15分、金沢駅到着、解散

金沢駅前で車中泊。
3月23日(土)

ボランティア作業が終了し、今日は車で珠洲市と輪島市を訪れることにしました。

朝、金沢市主催の出張輪島朝市を見学。

9時、金沢駅出発。12時、珠洲市到着。16時、輪島市到着。

輪島市の人口は2.2万人。特産品の輪島塗や輪島朝市が有名であり、珠洲市よりも大きな町です。珠洲市と同等の割合で地震被害が生じている印象ですが、朝市地区は火災により全体が消失しています。震災から3か月近く経った今もまだ手つかずに近い状態に見えます。

輪島朝市の焼け跡に立ち尽くすと呆然としてしまいます。まるでテレビで見る爆撃を受けた後の町の風景のようです。

持ち主に出会うこともなかなか叶わないでしょうし、会えたとしても日常を取り戻すために精一杯な方々に対して、「壊れたモノを寄付していただき、能登の記憶をどこかに受け継いでいきましょう」と声をかけることがいかに場違いに響いてしまうか。この壁をいかに乗り越えられるか?

私事ですが、2016年の熊本地震で父の実家が全壊になったとき、誰もが壊れたモノを少しでも早く片付けて、普段の生活を取り戻すことで精一杯だったことが思い出されます。ようやく落ち着いて、壊れたモノから使えるものを探して取りに行かねば、と動いたのは既に全てが片付けられてしまった後でした。

そこに流れた時間の記憶を受け継ぐものを一切失ってしまった。そのことを痛感しました。

能登で被災された方々の中にも、少し時間が経った後で、ぼくと同じ思いを抱く方がたくさんいらっしゃるのではないか、と思うのです。

だからこそ、壁を乗り越えて、今のタイミングでソトチクをお伝えする努力をしたいと思います。

寄付控除の金額は数万円程度に過ぎない場合が多いです。大きな助けにはならないかもしれません。でも、なにより、そのまま片付けられて全てを失ってしまう前に、これまでの時間を記憶した貴重な素材を寄付していただくことによって、どこかの町でその記憶が受け継がれていく、ということが被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。

20時に金沢到着。車中泊。

3月24日(日)、東京へ帰る。

今回のスタッフの報告を受けて、石川県災害ボランティアへの参加では、被災者とのコンタクトは難しいという結論になりました。しかし、スタッフは同時に2つの新たなアイディアを出してくれました。

①今回の参加で、スタッフが唯一コンタクトできた人が、穴水町で有志を募って毎週日曜日に炊き出しをしている人だそうで、その炊き出しに参加する、というものです。そこで、食事と共にソトチクのチラシをお渡しして、お話しできる方がいらっしゃれば説明を試みます。

②また、SNSで酒蔵のラベル貼りのボランティア募集を見つけました。この酒蔵は奥能登にあり、被災を免れた酒瓶のラベル貼りだそうです。このボランティアに参加して酒蔵にソトチクの話をお伝えできれば、と思います。

以上の2つをこれから進めていきます。

<SOTOCHIKU実績報告>

昨年の3月、鋸南町のとある丘にあった切り株をスコップで掘り起こし、それを材料としてテーブルをつくりました。

週末を利用して中一の息子と二人で掘りに行きました。小さな段差に生えているので、掘るのは高い部分だけのはず。3日くらいで掘れるかなあ、と。

さて、この切り株はなんという木だろうか?近くに似ている木肌を探すと・・・これかな?

ネットで似ている葉を調べてみると、どうやらアカメガシワという名前のようです。アカメガシワの根、と呼ぶことにしました。

アカメガシワの根を二人で、掘る、掘る、掘る・・・

時折、安住している虫たちを起こしてしまうのに心を痛めながら、やさしくゆっくりと土を動かす息子にペースを合わせつつ。

最初はけっこういいペースで掘り進めて、2日目にはここまで来ました。

そろそろ切り離しにかかります。この分なら、3日目には切り離せるでしょう。

・・・と思いきや、3日目切っても切っても根はびくともしません。息子は飽きて、他の遊びを始めてしまいました、おい!

4日目もびくともせず。4月になり、大地は緑色に変わってきました。大地とくっついてる部分にノコギリを入れて切り離そうとしても、ひっぱっても蹴っても切り株はびくともしません。まるで意志があるかのように。

根はいわゆるツリー構造ではなく、交差する根同士がくっつきあって、どこがどうつながっているのかだんだん訳が分からなくなってきます。一体いつ終わるんだろう?

5日目、切り離しを黙々と続けて今日もあきらめかけたときに、アカメガシワの根がフワッと軽くなって地面を離れました。そのあっけない感じは「お前もよくやるな」と根っこに認めてもらったかのようで、こっちも「おつかれさん」と返したい気分ですw。

アカメガシワの根はこうしてぼくにとって人格を持つ存在となりましたw。

根を掘り出した、といっても表層からせいぜい30~40センチに過ぎません。あたりまえのことですが、根はそこからずっと下まで伸びています。木の高さと同じくらいというのだから、全部掘り返そうとしたら、きっと10メートルくらい掘らないといけないのでしょう。切られた断面は瑞々しい。残された根は元気に生きています。少し複雑な思いになりますが、これから何か素晴らしいモノをつくらねば、という気持ちになります。

根は90kgほどで、縄を付けて道路まで引きずっていくにはちょうどいい重さです。車に載せて、GF墨田工場へ。ここからスタッフの三崎くん、中田くんと何をどうつくるかを考えていきます。

そして、ひっくり返すことに。天地を反転すると、突然この生き物は強いエネルギーを放ち始めます。

そして、この生き物を守るように、水平・垂直の棒材で囲んでいきます。

現在、アカメガシワの根は表参道のSOTOCHIKUショールームで大テーブルとして使用されています。

この制作に携わったぼくたちはみんな、いつの間にかこのアカメガシワの根をまるで人格を持つかのように扱っています。対話している、といってもいいかもしれません。

「一対一の関係性」が成立するような空間をつくることがGRIDFRAMEの目標です。それは、例えばこういうことをいうのではないでしょうか。

2024 年 3 月 31 日 GRIDFRAME 田中稔郎

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